橋本平八(1897~1935)は明治から昭和の初めにかけての人で、38歳という若さで世を去った知る人ぞ知る日本の彫刻家だ。
僕が最初に橋本平八を知ったのは美大に入って間もなくのころ、何の予備知識もなく大学内の陳列館で「花園に遊ぶ天女(1930)」を生で見た時だ。他にも違う彫刻が展示してあったはずだが、それだけを覚えているから相当なインパクトがあったことだけは確かだ。
で、パッと見、体形も顔ももろ日本人だし、髪の毛はジョージ秋山の漫画を思い起こさせるおどろおどろしいもので、「なんか怖いなぁ…」と思った。さらに近づいてよく観ると、表面に刺青のような、装飾的な模様が細かく彫ってあった。今度は、「う~ん、こりゃなんか込めてるな、マジだな…!」と思った。体内にお経を書いた紙などがしまいこまれている仏像があったりするけど、それと似たものを感じた。
そのときはそれっきりでなんとなく時は過ぎていったのだが、その後、ただの石ころを木で模刻しただけの「石に就て(1928)」という作品、さらに牛に似た形の石を見つけそれをそのまま木に置き換えただけの「牛(1934)」という作品を知るに至り、この人はただもんじゃないと確信した。
つまり自然物に生命を感じるという日本の原始宗教、いわゆるアニミズムに接近していったということ。この時代、自分の彫刻を短い生涯のうちに一途に追求していったあげく、西洋の模倣に甘んじた作風に陥ることなく、ごく自然にこのような次元に達した作家は稀なのではないか。
芸術家の早世と、遺された作品の統一感のある凝縮された世界観との関係は、不思議と前もって決められていたかのようだ。
「花園に遊ぶ天女」「牛」
「石に就て」