カッセルの次はベルリンに向かった。カッセルはのどかで美しい田舎街だったが、ベルリンは汚かった。
都会はどこもそうだが、東京と大きく違うのは落書きが豪快なことと、
ビール瓶の栓や瓶の割れた破片が足下に散乱していることだ。落書きは別名グラフィティと呼ばれ、
当然日本にも存在するが、ここ本場と比べるといかにもみみっちい。有名なのはベルリンの壁の落書きだろう。
歩道橋の手すりもこの通り |
散乱する瓶の栓や瓶の欠片 |
これが一番のお気に入り。猥雑なパワーに圧倒される |
ベルリンの壁 |
木にも容赦ない。 |
ベルリンでは、弟の知り合いの住む旧東ドイツの団地住宅に寝泊まりした。
団地の一角には小さなレストランがあり、そこで晩飯を食いながら、店員や客の姿を眺めていると、
どこにでも人々の生活が日本と同じようにあるんだなとしみじみと思った。
その翌日には、弟の知り合いのドイツ在住の日本人の一団に偶然出くわした。
異国の地でエネルギッシュに活動する彼らの姿から、生きるためにその地に同化する
動物の習性のようなものを感じた。
その後、そもそもの旅行の目的であるハンブルグでの展示の搬入作業と初日のオープニングを終え、
帰りの空港のあるフランクフルトへ。フランクフルトでは、マイン川のほとりにあるシュテーデル美術館に立ち寄った。
常設は、中世、近代、現代の3つの時代に区分されていて、各時代の名品で展示が構成されていた。
こうして美術作品を年代順に追って見ると、現代は糸の切れた風船が、ただただ広い
エンプティーな空間に拡散していくかのような、そんな時代だと感じた。
ドイツの女流作家、ケーテ・コルヴィッツの彫刻作品
。フランクフルトのシュテーデル美術館にて。
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フランクフルト国際空港にて |